おかえりモネ-祖父の永浦龍己(ながうら・たつみ)の解説
NHKの朝ドラ「おかえりモネ」に登場する永浦龍己(藤竜也)のモデルと解説です。
■永浦龍己(藤竜也)の解説
永浦龍己(藤竜也)は、永浦百音(清原果耶)の祖父で、若い頃は遠洋漁業のマグロ船に乗ってマグロと格闘していたが、牡蠣の養殖に転向して、実直に牡蠣の養殖業に邁進し、牡蠣養殖の名人となった。
昔の船は木で出来ていたので、漁師は良い木を持っている山主を探して大切にしており、昔から宮城県登米市米麻町(よねま)の山主・新田サヤカ(夏木マリ)と交流を持っていた。
また、雨が降ると山の栄養分が川を伝って海に流れてきて、牡蠣の栄養になるため、新田サヤカの山に木を植えている。
永浦龍己は頑固だが、海をこよなく愛する男で、孫の永浦百音や永浦未知(蒔田彩珠)に海や森の豊かさを伝える。
また、永浦百音に山と海が密接に関係している事を教え、気象予報士を目指す永浦百音の背中を押すのだった。
永浦龍己(藤竜也)は、海を愛する男なのに、どうして息子の永浦耕治(内野聖陽)に「耕して治める」という名前を付けたのか。この「耕治」という名前には謎があるのではないか。
スポンサードリンク
■永浦龍己(藤竜也)の実在のモデル
永浦龍己(藤竜也)のモデルは公式発表されていないのですが、コメント欄で情報提供していただいた畠山重篤(はたけやま・しげあつ)さんがモデルだと考えられるので、紹介しておきます。
畠山重篤は、昭和18年(1943年)10月に中国の上海で生まれた。気仙沼水産高校を卒業後、昭和26年、18歳の時に宮城県唐桑町で家業のカキ・ホタテの養殖業に従事する。
当時の気仙沼湾は豊で、ウナギや魚が沢山おり、雨が触れて養殖の海苔は豊作で、何の苦労も無く、カキやホタテは育っていた。
しかし、昭和40年ごろから、気仙沼湾に生活排水や農薬が流れ込むようになり、養殖の海苔が全滅したり、赤潮の影響でカキが赤くなっていまう。
赤くなったカキは「血カキ」と呼ばれて売り物にならず、牡蠣の養殖を辞める人が相次いだ。
海が好きだった畠山重篤は、カキ養殖を続けようとしたが、赤潮が発生するということは、海が汚れているということなので、海を綺麗にしなければ話にならない。
これまでの経験から、問題は海ではなく、陸にあると考えた畠山重篤は、気仙沼に流れ込む「大川」を調査すると、生活排水や農薬などが川から海に流れ込んでいる事が判明する。
さらに、「大川」の水源となる山が、戦後の緑林計画で杉ばかりになったうえ、安い輸入木材が入ってきた影響で、杉は間伐もされずに放置され、山が荒れ果てており、雨が降ると、泥水が川に流れ込んでいる事がわかった。
畠山重篤は45歳にして、海と川と山が密接に関係しており、海が豊かな場所は山が豊かだと知るが、研究者もいなければ、対応する機関も無い。
そこで、畠山重篤は川の近隣住人に、海と山は繋がっている事をアピールするため、大川の上流にある室根山に植林することにした。
そこで、室根山の村長に「山の栄養が海を豊にする」と感謝を述べ、植林をしたいと相談すると、村長は「下流の人間から川を汚すなと怒られた事はあるが、感謝されたのは初めてだ」と喜び、植林に賛同した。
こうして、畠山重篤と漁師達が集まり、「牡蠣の森を慕う会(森は海の恋人)」が誕生し、平成元年(1989年)に室根山で第1回植林際が開催され、イベントは大成功し、以降、植林際が継続された。
こうした植林活動の成果もあり、現在は気仙沼湾も豊かな海を取り戻し、環境の目安となるシラスウナギも確認されている。
さて、モデルについて、もう1つ補足しておきます。
今回モデルとして紹介した畠山重篤は、中国の上海で生まれで、現時点で77歳です。
一方、「おかえりモネ」で永浦龍己を演じる藤竜也は、中国の北京の生まれで、現時点で79歳です。
2人とも戦前の中国で生まれたという点を考えても、永浦龍己(藤竜也)のモデルは畠山重篤だと考えられます。
■キャストは藤竜也
「おかえりモネ」で永浦龍己を演じる藤竜也(ふじ・たつや)は、戦前の1941年8月27日生まれ、中国の北京で生まれました。ドラマ放送開始時の年齢は79歳となります。
父親が横浜の「諸星インク」で働いており、中国の北京へ赴任しており、藤竜也は戦前の北京市で生まれ、戦時中に帰国しまして小田原に疎開し、戦後に横浜に戻ってきました。
戦後、父親が電車にひかれて死んだため、子供の頃に各地を転々として、再び横浜に戻ってきたようです。
大学生の時に彼女とデートの待ち合わせをしていたときにスカウトされて日活に入社し、1962年の「望郷の海」でデビューしました。最初のギャラは1本5000円だったそうです。
スタントマンの仕事は危険手当があって給料が良いため、スタントマンなどの仕事もこなしており、ジムに通って体を鍛えていたことから、体を鍛える俳優の先駆けとなりました。
映画俳優としては無名に近かったのですが、1968年には、石原裕次郎の協力も有り、格差を乗り越えて、日活の看板女優だった芦川いづみと結婚しました。
しかし、結婚から5年後、32歳の時にTBSのドラマ「時間ですよ」に出演してブレイクしました。
朝ドラに関しては2005年の「風のハルカ」に出演しており、今作が2度目の出演になります。
その他の登場人物やキャストの一覧は「おかえりモネ-登場人物とキャスト」をご覧ください。
スポンサードリンク
コメント欄
牡蠣養殖名人永浦龍己さんは、実際のモデルはいるのですか。気仙沼の牡蠣養殖の漁師ときいて畠山重篤氏を思い出したのですが。
お問い合わせありがとうございます。管理人です。
公式的には永浦龍己さんのモデルは発表されていませんが、経歴や活動内容を見ると、畠山重篤さんがモデルと思われるので、本文の方で紹介させていただきます。