曽我物語(曾我兄弟の仇討ち)のあらすじと相関図・家系図を分りやすく解説
歌舞伎や能などで有名な「曽我物語(そがものがたり)」(曾我兄弟の仇討ち)のあらすじを分りやすく解説します。
曽我物語-わかりやすい登場人物と相関図
名前で判断すると複雑に思えるのですが、事件に関連する登場人物は全員、伊東一族の人間で、「曽我物語(曾我兄弟の仇討ち)」は伊東一族の内輪揉めだと考えてください。
下の画像が可能な限り、分りやすくした曽我物語の相関図(家系図)です。
補足すると、伊東祐隆は元々工藤家の人間で、伊豆に来てから「伊東」を名乗るようになりました。この伊東祐隆が初代伊東氏となります。「伊東」は「伊豆の東側」という意味らしいです。
それで、相関図(家系図)の右側の伊東祐家の家系が伊東祐隆と正室の間に出来た子供の家系です。
左側の工藤祐継は、伊東祐隆と側室の連れ子の間に生まれた子供と言われ、伊東祐隆が養子にしました。
相関図自体は簡単なのですが、その背景はかなり複雑です。
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曽我物語(曾我兄弟の仇討ち)のあらすじ
伊豆(静岡県)の豪族・工藤祐経(すけつね)は、叔父の伊東祐親(すけちか)に、相続する領土を騙し取られてしまったので、裁判に訴えたが、敗訴した。
工藤祐経は、これを恨みに思って、伊東祐親の暗殺を企て刺客を放ち、伊東祐親の嫡男・河津祐泰(すけやす)の暗殺に成功した。
さて、殺された河津祐泰には2人の子供いた。一萬丸(5歳)と箱王丸(3歳)で、この2人が後に「曽我兄弟」となる。
殺された河津祐泰の妻は、相模(神奈川県)の豪族・曾我祐信(すけのぶ)と再婚したので、一萬丸と箱王丸も曾我祐信に引き取られる。
そのようななか、伊豆で源頼朝が挙兵し、平家側だった工藤祐経は源頼朝に味方して、源頼朝の側近へと出世する。
一方、曽我兄弟の実家・伊東家は平家について最終的に消滅する。
やがて、兄・一萬丸は元服して「曾我十郎祐成(そが・じゅうろう・すけなり)」と名乗る。
兄弟は父親の仇を討とうとしていたが、もはや源頼朝は鎌倉幕府を開いており、源頼朝の側近である工藤祐経を討てるはずがない。
母親は災いが及ぶのを恐れ、仇討ちに反対して、弟・箱王丸を箱根権現社に預けた。
しかし、弟・箱王丸は箱根権現社を逃げ出して兄・曾我十郎祐成の元に走り、北条時政に頼んで元服し、「曽我五郎時致(そが・ごろう・ときむね)」と名乗ったので、母親から勘当される。
こうして、「曾我十郎祐成」と「曽我五郎時致」は父親の敵を討つために、奔走するが、仇を討つことが出来ない。
やがて、曽我兄弟は、源頼朝が静岡県で大規模な巻狩り(実質的な軍事演習)を行うことを知る。
曽我兄弟は、決死の覚悟で挑むため、母親に別れの挨拶に行き、なんかと母親から勘当を解いてもらい、「富士の巻狩り」に潜入し、苦労の末に工藤祐経の宿所に忍び込み、工藤祐経を討って、18年の雪辱を果たすのだった。
その後、兄・曾我十郎祐成は駆けつけてきた御家人を何人か倒した後、討ち取られた。
弟・曽我五郎時致は源頼朝の宿所まで切り込んでいくが、源頼朝の側近・五郎丸に取り押さえられ、翌日、源頼朝の前に突き出された。
源頼朝は、曽我五郎時致に感心して許そうとしたが、曽我五郎時致は命乞いをするつもりはないと言い、潔く処刑された。
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