八重(新垣結衣)と源頼朝の結婚と北条政子-鎌倉殿の13人

NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する八重(新垣結衣)と源頼朝の結婚と北条政子の実話を解説します。

「鎌倉殿の13人」の八重(新垣結衣)

「鎌倉殿の13人」の八重(新垣結衣)は、伊豆の豪族・伊東祐親(辻萬長)の娘で、北条義時(小栗旬)の初恋の相手です。

しかし、八重(新垣結衣)は源頼朝(大泉洋)と結婚してしまいます。

八重(新垣結衣)は、伊豆の豪族・伊東祐親(辻萬長)の3女として実在しており、絶世の美女と伝わっているのですが、ほとんど記録が残っていないので、逸話をベースに八重の生涯を紹介します。

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実在の八重(新垣結衣)

京都で源義朝と平清盛が争い、争いに敗れた源義朝は処刑された。源義朝の3男・源頼朝(よりとも)は処刑を免れ、平安時代の1160年に伊豆国へと流刑になった。

源頼朝
源頼朝の肖像画

そして、伊豆へと流された源頼朝の監視役を任されたのが、平家側の豪族・伊東祐親(すけちか)で、源頼朝は伊東祐親の元で暮らすようになる。

やがて、伊東祐親が大番役で京都へ行くと、源頼朝は伊東祐親の3女・八重(やえ)を森の中に誘って関係を持ち、男子が生まれたので、源頼朝は喜んで「千鶴御前」と名付けた。

しかし、八重は先妻との間に生まれた娘だったので、後妻との仲が悪く、源頼朝は後妻の怒りを買ってしまう。

このため、3年後、伊東祐親は仕事を終えて京都から帰ってくると、千鶴御前を轟ヶ淵に沈めて殺すと、八重姫を取り戻し、江間小四郎に嫁がせた。

さらに、伊東祐親は源頼朝を殺そうとしたが、源頼朝は伊東祐親の次男・伊東祐清(すけきよ)からの情報で難を逃れ、伊豆の豪族・北条時政(ときまさ)の元に逃げ込んだ。

北条時政も、源頼朝の監視役を命じられており、以降、源頼朝は北条時政で暮らすことになる。

源頼朝と北条政子の結婚

北条時政の元で暮らすようになった源頼朝は、ある人から「北条時政の長女・北条政子は前妻の子で美人だが、次女と三女は後妻の子で容姿が悪い」という話を聞いた。

八重の時は後妻に嫌われて命まで狙われたので、今度は後妻に嫌われないように、北条時政の次女を狙うことにして、手紙を書いて側近の安達盛長に届けるように頼んだ。

しかし、安達盛長は次女と3女は悪女(容姿が悪い)と聞いたので、勝手に手紙を書き換え、長女の北条政子に手紙を届けた。

一方、北条政子は、妹から不思議な夢を見た話を聞いた。

その夢が吉夢だと考えた北条政子は、妹の夢が欲しいと思った。

そこで、北条政子は妹に、夢を人に話したら呪いがかかると言って脅したうえで、夢を他人に売れば、売った方も、買った方も呪いにはかからないと教えた。

すると、驚いた妹は、北条政子に夢を売り、北条政子は妹を騙して、まんまと吉夢を手に入れた。

その翌日、北条政子は源頼朝からの手紙を受け取る。北条政子は21歳になっても嫁に行っていなかったので、源頼朝からの手紙を喜び、密通を始めた。

源頼朝は、八重の時と同じ手口で、北条時政が京都へ仕事に出かけて留守にしている間に、北条政子と良い関係になった。

京都から戻った北条時政は、2人の関係に驚き、家に知られる事を恐れてはいけないと思い、長女・北条政子を平家側の山木兼隆と結婚させることにした。

しかし、北条政子は挙式の当日に山木兼隆の元を逃げ出し、源頼朝の元に走り、源頼朝と結ばれたのだった。

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八重の自殺

八重は源頼朝との間を引き裂かれ、江間小四郎と結婚していたが、源頼朝の事が忘れられず、数ヶ月で離婚して、伊東家に戻っていた。

父・伊東祐親は怒って八重を外出禁止にして屋敷の閉じ込めており、八重は日増しに源頼朝への思いを募らせていた。

ある日、父・伊東祐親が仕事で京都へ行ったので、八重は侍女を連れて屋敷を抜け出し、源頼朝に会いに行った。

しかし、伊藤家の門番は冷たくあしらい、源頼朝に取り次がなかった。

八重は源頼朝が結婚している事を知って絶望し、治承4年(1180年)7月16日に、真珠ヶ淵に身を投げて入水自殺をした。侍女5人も後を追って自害した。

八重の碑石
伊東八重姫が入水した場所の碑文

現在、八重が身を投げて静岡県伊豆の国市の真珠ヶ淵には真珠院があり、真珠院に八重の供養塔がある。

ハシゴがあれば、八重を助けられたと思いから、小さなハシゴが真珠院に奉納されている。

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