がんちゃん!岩田剛典の実家と父親のネタバレ
「三代目J Soul Brothers」のメンバーで「がんちゃん」の愛称で親しまれる岩田剛典(いわた・たかのり)の実家と父親についてネタバレします。
岩田剛典は華麗なる一族
岩田家は、江戸時代に愛知県で酒造業を営んでおり、岩田家の次男だった岩田武七が独立して、明治6年に名古屋で「岩田屋」を創業した。
この岩田家から分家した岩田武七が、岩田剛典の岩田家の初代で、岩田剛典は岩田家の本家筋である。
さて、「岩田屋」を創業した岩田武七は軍部に小間物(日用品雑貨)を納品して成功し、1代にして莫大な財産を築き、明治41年にイギリスから蒸気自動車を輸入して、名古屋で初の乗り合いバス事業を開始した(バス事業は失敗したらしい)。
さらに、明治44年には、「犬山ガス」を設立した(犬山ガスは現存している)。
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岩田剛典の曾祖父時代
岩田武七の死後、長男・岩田正治郎が家督を継いで、岩田武七を襲名する。
2代目・岩田武七は「岩田屋」を法人化する一方で、軍靴の底に付ける金具を製造して軍部に納品するようになる。
すると、軍部から、部品ではなく軍靴を作って欲しいという要請があり、大正10年に「亜細亜製靴(現在のマドラス)」を設立して、アメリカから機会を輸入して、靴の製造に乗り出し、軍部の軍靴を納品して、莫大な利益を上げた。
その一方で、岐阜県の下呂温泉が洪水で水没したときに、2代目・岩田武七は地元の要請で採掘を行い、温泉を掘り当てて下呂温泉を復活させた。
このときに、温泉の採掘権を得て、昭和6年に下呂温泉の「湯ノ島館」を創業した。
この下呂温泉の「湯ノ島館」は、映画「千と千尋の神隠し」に登場する湯屋のモデルになっているとも言われる温泉旅館である。
岩田剛典の祖父時代
2代目・岩田武七は終戦後間もない昭和23年に死去し、2代目・岩田武七の長男・岩田孝七が家督を相続する。
岩田孝七は軍靴から民間靴に転じ、直営店の経営も始める。
さらに、岩田孝七は昭和40年に、イタリアを視察したさい、イタリアで最大規模を誇った「マドラス社」と技術提携の集結に成功する。
岩田孝七は「マドラス」の靴で成功し、昭和58年に全世界のマドラス製造販売権を取得し、社名を「マドラス株式会社」に変更。さらに、平成6年に全世界のマドラス商標権を取得した。
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岩田剛典の父・岩田達七
岩田剛典の父・岩田達七は、岩田孝七の長男で、平成22年に「マドラス株式会社」の社長に就任している。
マドラス株式会社は、全国に6支店を展開し、従業員数310名(グループ会社を含む場合600名) 。関連会社に「岩田工機株式会社」「犬山瓦斯株式会社」「下呂温泉 湯之島館」がある。
岩田剛典の岩田家は、雇われ社長ではなく、創業家なので、実家が大金持ちというわけだ。
岩田剛典は長男ではない
岩田剛典は兄がいるので、長男では無いが、子供の頃から慶應義塾大学への進学を義務づけられており、慶應義塾普通部に合格し、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科へと進学するというエリートコースを進んだ。
しかし、高校3年生の時に映画「RIZE」の影響を受けて、ダンス「KRUMP」を始めており、大学でダンスサークルに所属する。
岩田剛典はダンスを通じて「EXILE」のNAOKIと知り合っており、「三代目J Soul Brothers」のオーディションを受けるように勧められ、オーディションに合格する。
岩田剛典は就職が内定していたので、父親に反対されたが、最後は父親の理解を得て、「三代目J Soul Brothers」に入ったようだ。
未確認情報だが、岩田剛典の兄はフジテレビHDの社長の娘と結婚したという情報もある。
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