らんまん-槙野万太郎(神木隆之介)の実在のモデル

2023年前期のNHKの朝ドラ「らんまん」に登場する槙野万太郎(まきの・まんたろう/神木隆之介)の実在のモデルを紹介します。

らんまん-槙野万太郎(神木隆之介)のモデル

朝ドラ「らんまん」の主人公・槙野万太郎(神木隆之介)のモデルは、高知県出身の植物学者・牧野富太郎です。

牧野富太郎は、江戸時代の1862年(文久2年)に高知県高岡郡佐川町の商家で生まれた。

名教館(佐川小学校)に入学したが、2年で佐川小学校を辞めて、大好きな植物採集をする日々を過ごし、15歳の時に佐川小学校の臨時職員となる。

やがて、知師範学校の教師・永沼小一郎と出会って欧米の植物学に触れたり、小野蘭山の「本草綱目啓蒙」と出会ったりして、ますます植物学に、のめり込んでいく。

19歳の時に、書籍や顕微鏡を購入するために、初めて上京する。

22歳の時に牧野富太郎は再び上京し、東京帝国大学理学部植物学教室の矢田部良吉の元で研究するようになる。

そして、25歳との時に大久保三郎や田中延次郎・染谷徳五郎らと「植物学雑誌」を創刊し、26歳の時に「日本植物志図篇」の刊行を開始した。

牧野富太郎は新種を発見するなどして、研究者としての地位を築いていく一方で、小澤壽衛子と結婚して家庭を築いた。

しかし、田部教授・松村任三教授らにより植物学教室の出入りを禁じられたため、ロシアへと渡り、マキシモヴィッチの元で研究を杖づけようとしたが、マキシモヴィッチが死去したため、ロシア行きも断念を余儀なくされた。

牧野富太郎は高知県へ戻って植物の研究を続けていたが、東京の農科大学(東大農学部)で研究を続ける事が出来るようになったので、再び上京する。

帝国大学理科大学の主任教授・松村任三に招かれて、帝国大学理科大学の嘱託・臨時職員を経て助手となる。

牧野富太郎は研究に没頭するあまり、他の研究者との軋轢があったほか、学歴が無かったことから、講師にはなれなかったようだが、50歳の時に東京帝国大学理科大学の講師に就任し、65歳の時に「日本植物考察」で理学博士を受けた。

牧野富太郎は77歳の時に東京帝国大学理科大学の講師を辞任し、84歳で「牧野日本植物図鑑」を創刊した。

87歳の時に、大腸カタルで一旦危篤状態となるが、回復。92歳に風邪をこじらせて肺炎となり、昭和32年1月18日に94歳で死去した。

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