南極観測隊が存続した理由は樺太犬だった
南極観測隊と樺太犬タロ・ジロで有名な映画「南極物語」に関する噂について紹介します。
南極観測隊の始まり
南極観測隊の元となったのは、朝日新聞の矢田喜美雄が提唱した「南極学術探検隊」である。
1957年(昭和32年)7月から1958年12月にかけて、世界各国が地球を観測する「国際地球観測年(IGY)」が開催されることになり、日本も「国際地球観測年」の9部門に参加した。
日本が参加した9部門の1つが南極観測なのだが、学者達は南極へ行くだけのお金が無いので、南極観測を諦めていた。
しかし、取材をしていた朝日新聞の矢田喜美雄が、南極観測のニュースをキャッチし、朝日新聞が学者を支援して南極を観測する「南極学術探検隊」を提唱した。
この「南極学術探検隊」が南極観測隊の始まりである。
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南極学術探検隊の名称変更
南極学術探検隊の隊長・永田武は、朝日新聞が1億円を出してくれるので、2億円もあれば南極に行けるだろうと考え、大蔵省が1億円を出してもらうことにした。
しかし、プロジェクトが動き始めると、2億円では南極へ行けないことが分かった。全くお金が足りないのだ。
南極へ行くには、氷を割りながら進む「砕氷船」という特殊な船が必要なのだが、各国が南極へ行くので、外国から砕氷船が借りられないのだ。
そこで、南極学術探検隊は文部省に7億5000万円を出してもらい、老齢の灯台補給船「宗谷」を「砕氷船」に改造して南極へ行くことになる。
このとき、文部省が「探検」という言葉を嫌い、「探検には金は出せない」と言うので、「南極学術探検隊」は「南極地域観測」へと名称を変更した。
南極観測隊は単発の企画だった
現在は「第1次南極観測隊」「第2次南極観測隊」と呼んでいるが、当時は「予備観測隊」と「本観測隊」と呼ばれていた。
予備観測隊は越冬するための基地を建設して帰国し、翌年の本観測隊が「国際地球観測年」に合わせて越冬するという計画だった。
当時の南極観測は継続する事業ではなかったので、「第1次」「第2次」など付いていなかったのである。
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樺太犬タロ・ジロが参加
予備観測隊(第1次南極観測隊)は南極に基地を建設して帰国するだけだったので、越冬の予定は無かった。
しかし、予備観測隊に参加したカリスマ探検家の西堀栄三郎が、「ぶっつけ本番で本観測隊が越冬することは危険だ。予備観測隊で越冬を経験し、情報を集めるべきだ」と主張したので、急遽、予備観測隊が南極で越冬することになった。
そして、西堀栄三郎が犬ぞりを採用したので、北海道で樺太犬が集められた。
こうして集められた樺太犬の中に、タロ・ジロ・サブロという兄弟犬が居たのである。
(注釈:サブロは出航前に死んだので、南極には行っていない。)
タロ・ジロの置き去り事件
予備観測隊(第1次越冬隊)は無事に南極のオングル島に接岸し、昭和基地を建設すると、タロ・ジロら樺太犬15頭とともに越冬を開始し、無事に越冬する。
そして、翌年、本観測隊(第2次越冬隊)と入れ分かる予定だったのだが、本観測隊は悪天候に阻まれ、昭和基地の近くまで行くことが出来なかったので、セスナで予備観測隊を宗谷に回収して、本観測隊を昭和基地に送り込むチャンスをうかがった。
あくまでも本観測隊を越冬させるつもりだったので、樺太犬15頭は昭和基地に鎖につないだままだった。
南極観測隊には報道担当の隊員が参加しているので、南極の様子は日本にも報道されており、日本国内ではタロ・ジロを心配する声が続出していた。
隊長の永田武は無線で日本と連絡を取っており、最終的に本観測隊は越冬を断念して、タロ・ジロら樺太犬15頭を昭和基地に残して帰国する事を決断する。
このとき、永田武が本観測隊の不成立を宣言するのだが、このときに初めて「第2次」という言葉を使った。
元々、南極観測は予備観測隊と本観測隊で終わる予定だったが、永田武がわざわざ「第2次」という言葉を使用したということは、「第3次」があることを意味している。
永田武が日本とどのような交渉をしていたのかは分からないが、樺太犬タロ・ジロら15頭を心配する声を背景に、南極観測の継続が決定したのではないかという説がある。
もし、樺太犬を置き去りにする事件が無ければ、南極観測は予定通り、予備観測隊と本観測隊で終わり、現在まで続いていないかもしれない。
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映画「南極物語」の噂
映画「南極物語」と南極観測隊についての噂を紹介するが、おそらく「ガセネタ」だという事を前提に読んで欲しい。
南極へ行くためには、南極観測船が必要なのだが、南極観測船を作るのに莫大なお金がかかる。
このため、2代目南極観測船「ふじ」の廃船が決まったとき、予算が通らないので、南極観測は廃止されるという案が出た。
しかし、1983年(昭和58年)に高倉健が主演する映画「南極物語」が上映され、全国に樺太犬タロ・ジロブームが起きたため、アッサリと予算が通り、3代目砕氷船「しらせ」が作られて、南極観測は継続された、という噂がある。
これは調べてみると、確かに1983年に映画「南極物語」が上映され、その年に3代目砕氷船「しらせ」が運用開始されている。
しかし、「しらせ」の計画自体は1980年から始まっているようなので、「南極物語」の上映のおかげで予算が通ったというのは、ガセネタの可能性が大きい。
南極物語の実話については「南極物語-実話のあらすじとネタバレ」をご覧ください。
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