ブギウギ-銭湯「はな湯」のモデル

趣里が主演するNHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場する銭湯「はな湯」の実在のモデルのネタバレです。

ブギウギ-銭湯「はな湯」のあらすじ

「ブギウギ」の銭湯「はな湯」は、花田ツヤ(水川あさみ)と花田梅吉(柳葉敏郎)が営んでいる風呂屋です。

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ブギウギ-銭湯「はな湯」のモデルのネタバレ

銭湯「はな湯」のモデルは、笠置シズ子の養父母が営んでいた風呂屋です。

笠置シズ子の実母・谷口鳴尾は、子供が生まれても結婚が許されなかったので、子供を手放すことになり、大阪から出産で香川県引田町に帰省していた亀井ウメが、笠置シズ子を引き取り、大阪に戻った。

このとき、養父となる亀井音吉は、米屋を営んでいた。米屋と言っても、米だけではなく、色々な物を扱う「よろづ屋」だったようだ。

しかし、明治時代・大正時代は米騒動が起きており、米騒動に嫌気をさした養父・亀井音吉は、笠置シズ子が小学校に入学した年、大正10年(1921年)に米屋を廃業して、風呂屋へと転業した。

風呂屋の経営は上手くいかなかったようで、大阪の各地を転々としており、風呂屋の移転に伴って引っ越したので、笠置シズ子は小学校を4回も転校している。

さて、笠置シズ子は養母・亀井ウメの勧めで、4歳の時から日本舞踊を習っており、風呂屋の脱衣場を舞台代わりにして踊ったり、歌ったりしていた。

これが近所の話題となり、笠置シズ子は小屋掛けの浪曲劇団から頼まれて、子役として舞台に出演している。

笠置シズ子は、このような経緯から、小学校を卒業すると、自信を持って宝塚歌劇団の入団試験を受けた。

結果として宝塚歌劇団は身体検査で落ちて、松竹楽劇部に通い詰めて入れて貰ったのだが、風呂屋は笠置シズ子が芸能界に入る切っ掛けを作った重要な要素と言える。

この亀井家の経営していた風呂屋だが、昭和10年(1935年)に、笠置シズ子の弟・亀井八郎が散髪屋を開いたのを機に、養父・亀井音吉は風呂屋を廃業している。

笠置シズ子が9歳のときから、21歳のときまで、営業していたので、亀井家は14年ほど風呂屋を営んでいたことになる。

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