朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シズ子の給料のネタバレ
NHKの朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シヅ子の給料や年収をネタバレします。
松竹楽劇部時代の給料
笠置シヅ子は昭和2年、14歳の時に小学校を卒業して、宝塚少女歌劇団を受験したが、身長が足りずに失格となり、大阪・道頓堀の「松竹楽劇部」に入った。
このときの笠置シヅ子の給料は不明だが、同じ「松竹楽劇部」の飛鳥明子によると、2年間は無給で、その代わりに勉強をさせてもらう約束だったが、人によっては2~3ヶ月でステージに立たされ、その臨時手当が1週間に3円50銭、1日に50銭の割合で、食事から電車賃まで全て生徒持ちだったと証言している。
1日に50銭では30日舞台に出演しても、1ヶ月に15円にしかならない。このころ、小学校の教師の初任給が40円~55円、うな重が50銭だったので、うな重を食べれば、その日の日当は消えることになる。
笠置シヅ子の給料の額は不明だが、飛鳥明子と同じ条件だったのではないかと思われる。
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幹部時代の給料
昭和8年6月に、東京の松竹少女歌劇部と大阪の松竹楽劇部で、女生徒らが待遇改善を求めてストライキを起こした。この労働争議は「桃色争議」と呼ばれた。
桃色争議は松竹が改善要求の一部を飲んでストライキを終わらせており、女生徒らが勝利した。
「桃色争議」の後、幹部になった笠置シヅ子は給料80円を貰っていたときに、自宅から小遣い100円をもらっており、笠置シヅ子は親の道楽で通わせてもらっていたようなものだと話している。
このころ、小学校の教師の初任給が45円~55円だったので、自宅から貰う小遣いを合わせると、金銭的には困ることは無かったのではないかと思われる。
その後の給料
昭和13年(1938年)、弟・亀井八郎が兵隊に取られたため、笠置シヅ子は1人で両親を養わなければならなくなり、金銭的に苦しくなった。
このとき、笠置シヅ子は「松竹楽劇部」で給料100円をもらっていたが、東京の「松竹楽劇団(SGD)」から給料200円でスカウトされたため、渡りに船と思い、松竹楽劇団へ移籍した。
このとき、松竹楽劇部から退職金970円を貰ったが、1円も使わずに全額、弟のために定期預金した。
そして、上京した笠置シヅ子は、給料200円のうち、20円を家賃、30円を生活費として自分が使い、残りの150円を大阪の両親に仕送りしていた。
昭和14年、東宝から給料300円で引き抜かれて、東宝へ移籍することにしたが、松竹に察知されて移籍を阻止され、松竹に残った。
昭和14年も小学校の教師の初任給が45円~55円なので、笠置シヅ子の給料は良かったと思われる。
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戦後の年収
笠置シズ子は、昭和24年度(1949年度)の年収(課税所得)は265万円だった。
このころは、笠置シズ子が「ブギの女王」として活躍していた最盛期で、笠置シズ子のモノマネをしていた美空ひばりが正式にデビューしたのが昭和24年である。
昭和24年は、小学校の教師の給料が3991円、総理大臣の給料が4万円、宝くじの最高当選額が100万円だった。
昭和24年のお金を令和の価値に換算すると、265万円は約1億円という感じで、「ブギの女王」の年収は総理大臣よりも高かったのである。
しかし、その後は台頭してきた美空ひばりに抜かれて人気が低迷していき、昭和32年(1957年)に歌手から引退して女優1本に絞り、歌手時代のギャラでは使って貰えないとして、自らギャラの値下げ頼んで回った。
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