「ブギウギ」の心霊現象ー笠置シズ子と吉本頴右の幽霊
NHKの朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シズ子が経験した心霊現象を紹介します。
「ブギウギ」のモデル笠置シズ子の霊体験
戦時中、ジャズを歌っていた笠置シズ子は、敵性歌手に指定されており、戦地慰問には呼ばれず、国内で地方巡業や工場慰問をして食いつないでいました。
そのようななか、仕事で名古屋を訪れていた笠置シヅ子は昭和18年(1943年)6月18日に、辰巳柳太郎の楽屋を訪れ、「美眉秀麗な貴公子」を目撃した。
この「美眉秀麗な貴公子」というのが、吉本興業の御曹司・吉本頴右(よしもと・えいすけ)だった。
その後、再び目撃して、3度目に吉本頴右の方から笠置シヅ子の楽屋に挨拶に行き、2人は初めて会話を交わし、やがて家を行き来する仲になった。
このとき、笠置シヅ子は29歳、吉本頴右は20歳だったので、笠置シヅ子は吉本頴右を弟のようにしか思っていなかったのだが、吉本頴右の方が笠置シヅ子を好きだったので、やがて、2人は恋愛に発展し、結婚を誓い合うのだった。
戦後、2人は結婚の準備に入るのだが、吉本頴右は吉本家の財産を整理しなければならないため、大阪へと戻ることになった。
笠置シヅ子は琵琶湖まで一緒に行って吉本頴右を見送り、その直後に妊娠が判明する。
そして、笠置シヅ子は結婚したら芸能界を引退することにていたので、舞台「ジャズカルメン」を終えると、芸能界を引退し、吉本頴右と暮らす新居を購入して、吉本頴右の帰りを待っていた。
しかし、大阪に戻ってきた吉本頴右は、結核が悪化して危篤状態になる。
笠置シヅ子は、吉本頴右に会いに行こうとしたが、医師から「身重の貴女が行けば、不安にさせてしまう」と止められて断念した。
結局、笠置シヅ子は吉本頴右の死に目に会うことが出来ず、吉本頴右は昭和22年(1947年)5月19日に死去した。
翌日、笠置シヅ子は吉本頴右が死んだ事を知らされ、悲しみに暮れながらも、昭和22年6月1日に女児を出産すると、吉本頴右の遺言に従い、「亀井エイ子」と名付けた。
さて、それから1年ほどして、笠置シヅ子は家の者から、ある話を聞かされた。
笠置シヅ子は出産のために入院していた間、新居の留守を任せていたのだが、新居の留守をしていた2人が、吉本頴右が死ぬ前日に、新居から出て行く人魂を見たのだという。
吉本頴右が死んだとき、笠置シヅ子は出産の準備で入院していたのだが、吉本頴右は入院していることを知らなかったので、笠置シヅ子を心配して新居に来たのではないかというのだ。
実は、吉本頴右の病状が悪化したとき、大阪の吉本興業でも、最後に2人を合わせてやろうと考え、船をチャーターして、お腹の大きい笠置シヅ子を大阪まで運ぼうとしていたのだが、吉本頴右は笠置シヅ子の体を気遣って断っていた。
しかし、吉本頴右は笠置シヅ子に会いたかったので、死ぬ前日に、人魂となって新居に会いに行ったのかもしれない。
なお、朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シヅ子の生涯については「ブギウギのモデルー笠置シヅ子の生涯」をご覧ください。
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