ブギウギー秋山美月(あきやま・みつき)のモデルは秋月恵美子
NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場する秋山美月(あきやま・みつき)のモデルのネタバレです。
ブギウギの秋山美月(伊原六花)
ブギウギの秋山美月(伊原六花)は、ライバルの花咲歌劇団から梅丸少女歌劇団(USK)へ移籍してきた生徒である。
秋山美月はタップダンスの名手で、先輩の桜庭和希(片山友希)よりも実力があり、桜庭和希を悩ませることになる。
やがて、秋山美月は、福来スズ子とともに、東京の梅丸楽劇団に参加し、タップダンサーの中山史郎(小栗基裕)と出会い、中山史郎と恋に落ちる。
しかし、男性と交際するのが初めてだった秋山美月は、何でも自分で決めてしまう中山史郎に困惑する。
やがて、秋山美月は中山史郎からプロポーズされるのだが、男役から娘役へ転向することを求められる。
秋山美月は中山史郎の要求に苦悩するが、自分らしくありたいと思い、中山史郎のプロポーズを断って大阪に戻るのだった。
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ブギウギー秋山美月のモデル
ブギウギの秋山美月(伊原六花)のモデルは、松竹楽劇部の男役スター秋月恵美子だと思います。
下の画像の左側がブギウギの秋山美月で、右の画像がモデルの秋月恵美子です。
秋月恵美子は大正6年生まれ、大阪精華高女を出て、昭和5年(昭和6年という資料もある)に大阪の松竹楽劇部へ入部した。
笠置シズ子が大正3年生まれ、昭和2年に入部しているので、笠置シズ子の方が3歳年上である。
秋月恵美子は大阪の寿司屋の娘に産まれ、女の子だったが、運動神経が良かったようで、泥だらけになって戻ってくるため、男の子用のズボンに丸坊主で走り回り、溺れていた子供を助けたことから「カッパ」と呼ばれるなった。
さて、昭和8年に松竹楽劇部で起きた「桃色争議」の処分で、飛鳥明子などのスターが大量に抜けたので、松竹楽劇部は人気が低迷してしまう。
そこで、松竹楽劇部は「大阪松竹少女歌劇団(OSSK)」へと名前を変更して再出発を図り、新たなスターとして、秋月恵美子と芦原千津子を新スターとして売り出した。
秋月恵美子はタップが得意で、タップの名手と言われた芦原千津子とのコンビで、スタートして活躍して、人気が低迷した大阪松竹少女歌劇団を立て直し、昭和13年に笠置シズ子とともに、東京の「松竹楽劇団(SGD)」の旗揚げに参加し、戦後は松竹歌劇団の黄金時代を築くのだった。
さて、秋月恵美子は男役スタートして活躍していたが、本人は男役は嫌いと断言し、「不自然だというだけでも男役をやっていると不愉快になりますんね。女に生まれて、なんでわざわざ男にならねばならんのや、と考えたら、益々、なんや悲しくさえなってきて」「娘役をやると自分の家に帰ったようにホッとした気持ちで嬉しくなってしまう」と話している。
朝ドラ「ブギウギ」の秋山美月(伊原六花)はタップダンスの名手なので、松竹楽劇部の秋月恵美子がモデルだと思います。
秋山美月のモデルが秋月恵美子で、実話通りに話が進のであれば、秋山美月は花田鈴子(趣里)と一緒に上京することになるでしょう。
なお、中山史郎(小栗基裕)の実在のモデルについては「中山史郎(小栗基裕)のモデルは中川三郎」をご覧ください。
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