「ブギウギ」のモデル笠置シヅ子の生涯ー松竹楽劇部と豆ちゃん

NHKの朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シヅ子の生涯の第4話「松竹楽劇部と豆ちゃん」です。

目次は「笠置シヅ子の生涯の目次」をご覧ください。

ブギウギー牛の生血

朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シヅ子は昭和2年(1927年)、13歳で小学校を卒業すると、宝塚少女歌劇団を受験したが、身長が足りずに落ちてしまったので、大阪・道頓堀の松竹楽劇部に入部し、わずか4ヶ月の練習で初舞台を踏んだ。

松竹楽劇部では、舞台があっても無くても、朝9時から練習があり、バレー、日本舞踊、発声などの練習をした。練習は非常に厳しく、ロシア人の先生はいつもムチで舞台を叩いていた。

笠置シヅ子は非常に練習熱心で、歌でも踊りでも自分が納得いくまで練習し、自分のクラスの練習が終わっても、他のクラスに紛れ込んで練習をしていたので、先生に見つかり、「練習のしすぎだから、体が弱いのだ」と叱られていた。

練習をして叱られたのは、後にも先にも笠置シヅ子はだけだったという。

また、音楽部長の松本四郎は笠置シヅ子を気に入っており、体の弱い笠置シヅ子のために、屠牛場から牛の生血を瓶に入れて持ってきて、笠置シヅ子に飲ませていたという。

さらに、松本四郎は笠置シヅ子に「恋をするなら、年寄りを相手にしろ」と教えていたという。

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ブギウギー豆ちゃん

松竹楽劇部の新入生は、行儀見習いをかねて、先輩の部屋に半年ほど入り、それが終わると自分の部屋に入ることになっていた。

笠置シヅ子は、豆がコロコロと転がるように小回りがきいて機敏に走り回るので、「豆ちゃん」と呼ばれて先輩や先生から重宝され、用事を頼まれていた。

このため、半年が経っても、次の新人が入っても、先輩は「豆ちゃんじゃないとダメ」と言って、笠置シヅ子を放さないので、笠置シヅ子は5年間も先輩の部屋で行儀見習いをしていた。

笠置シヅ子は稽古熱心だったうえに、先輩や先生から頼まれた雑用をこなしていたので、もの凄い忙しさだったという。

笠置シヅ子は先輩に気に入られていたので、病欠が出ると、代役を任せてもらえたので、同期よりも多く舞台に出ており、いつ代役が来てもいいように、先輩の舞台を見て全ての踊りを覚えていた。

しかし、いくら先輩や先生に気に入られていたからといって、舞台でのミスまでは庇ってくれず、最後は本人の努力で、入部から5年したころから、ようやく実力が認められるようになってきた。

ブギウギーきつねうどん

笠置シヅ子は、きつねうどんが大好きで、お腹が空くと決まったように、きつねうどんを食べており、次のように語っている。

「お揚げさんを噛むと、ギュウーと甘辛いお汁が出てきまっしゃろ。あんな美味しいもん、ほかにあれしまへん。それに、第一、値段も安いし」

また、松竹楽劇部の女生徒は稽古の合間にお好み焼き屋へ通っており、笠置シヅ子も無理矢理、みんなに引きずられて、お好み屋に顔を出していた。

そして、笠置シヅ子は、お好み焼き屋で、青腕豆(青エンドウ)の甘煮をメリケン粉で巻いた「青餡巻」に夢中になっていた。

笠置シヅ子の生涯ー実母・谷口鳴尾との再会」へ続く。

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