ブギウギのモデル-笠置シヅ子が宝塚少女歌劇団を落ちた理由

NHKの朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シヅ子が宝塚少女歌劇団を落ちた理由を紹介します。

宝塚少女歌劇団に落ちた理由

笠置シヅ子(本名は亀井静子)は子供の頃から体が弱く、養母の亀井ウメは何度も医者に相談するほどだった。

このため、亀井ウメは、将来、貧乏をしたときに働くのも大変だろうと考え、笠置シヅ子を日本舞踊や三味線の師匠に通わせた。

亀井家が米屋を廃業して風呂屋を始めると、番台に座っていた笠置シヅ子は、歌ったり、踊ったりしていると、近所の評判となり、小屋掛けの浪速浪曲劇団に頼まれて子役として出演した。

これに気をよくしたのか、亀井ウメは近所で演劇会があると、飛び入りで笠置シヅ子を参加させていた。

笠置シヅ子の人気だったようで、舞台に大量のおひねり(お金を紙で包んで捻ったもの)が飛んできて、足を滑らす事もあったという。

そして、笠置シヅ子は昭和2年に小学校を卒業すると、亀井ウメの勧めで宝塚少女歌劇団を受験したが、身体検査で身長が足りずに落ちてしまう。

笠置シヅ子は落ち込んで大阪に帰ってくるが、大阪にも宝塚少女歌劇団と同じような事をやっている「松竹楽劇部」があることを知り、松竹楽劇部に頼み込んで入部させてもらった。

つまり、笠置シヅ子は体が弱かったので、身長が足りずに身体検査で落ちたというのが、宝塚少女歌劇団に落ちた理由の通説である。

確かに、松竹楽劇部の松本四郎が、体の弱い笠置シヅ子のために牛の生血を飲まていたというエピソードも残っており、体が弱かった事が事実のようだ。

しかし、笠置シヅ子が宝塚少女歌劇団に落ちた理由には別説があるので、その別説を紹介しておこう。

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宝塚少女歌劇団に落ちた理由の別説

朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シヅ子が宝塚少女歌劇団の試験で落ちた理由は、実家が風呂屋だったからという説がある。

宝塚少女歌劇団の団員は、昭和の初め頃の給料が15円くらいだったらしい。松竹楽劇部のスター飛鳥明子が1日50銭と証言しているので、松竹楽劇部も同じくらいの給料だったようだ。

当時の15円を平成の価値に換算すると、4万4000円くらいだろう。

朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シヅ子は昭和2年、12歳の時に松竹楽劇部に入っているので、同じくらいの条件だったと思われる。

このころ、東京の小学校の教師の初任給が44円から55円で、普通の職業なら月給15円でも生活はできたようだが、団員は化粧品なども自腹だったので、月給15円では生活が出来なかったようだ。

宝塚少女歌劇団は宝塚音楽歌劇学校を併設しており、団員は宝塚音楽歌劇学校を卒業しても「女優」ではなく「生徒」という扱いで、舞台に出演するのは「実習」という扱いだったため、給料が低く抑えられていたという説もある。

宝塚少女歌劇団の団員は、月給15円では生活ができず、実家からの支援が必須だったので、宝塚少女歌劇団には良家のお嬢様が多かった。

このため、宝塚少女歌劇団には、実家の収入が良くないと試験でお落とされるという噂があり、笠置シヅ子は実家が風呂屋だったので試験で落とされたという説も残っている。

なお、朝ドラ「ブギウギ」のモデルや実話については「ブギウギ-登場人物のモデル」をご覧ください。

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