ブギウギ-羽鳥善一(草彅剛)のモデルと実話のネタバレ

NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場する作曲家の羽鳥善一(はとり・ぜんいち/草彅剛)のモデルのネタバレです。

ブギウギの作曲家・羽鳥善一(草彅剛)

「ブギウギ」に登場する作曲家・羽鳥善一(草彅剛)は、花田鈴子(趣里)の才能に目を付け、花田鈴子に曲を提供する。

花田鈴子は羽鳥善一のコンビで戦前は「スイングの女王」として活躍し、戦後は「ブギの女王」として活躍する事になる。

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ブギウギ-羽鳥善一(草彅剛)のモデルのネタバレ

羽鳥善一(草彅剛)の実在のモデルは、大阪出身の作曲家・服部良一です。

服部良一は明治40年(1907年)10月1日に大阪府大阪市天王寺区玉造で生まれた。

花田鈴子(趣里)のモデル笠置シヅ子は、大正3年(1914年)8月25日生まれなので、笠置シヅ子は7歳年下である。

服部良一の実家は代々、土人形を作っていたのだが、セルロイド製の人形が普及したことにより、家業が傾いたので、父親は勤めに出るようになり、1家7人の暮らしは貧しかった。

服部良一は家が貧しかったので、新聞配達をしながら小学校の高等科を卒業すると、貿易商を目指して、昼間は働きながら、夜間の大阪実戦商業に進学した。

色々あって体調を崩して療養していたときに、姉からウナギ屋の「出雲屋」が少年音楽隊を作るので試験を受けるように勧められる。

服部良一はチンドン屋みたいで嫌だと思い、断ろうとしたが、逆に言いくるめられて試験を受け、1位の成績で出雲屋少年音楽隊に入り、音楽の道を歩み始める。

その後、服部良一は大正15年(1926年)に大阪放送局(NHK大阪)の「大阪フィルハーモニック・オーケストラ」に移籍し、指揮者エマヌエル・メッテルに師事して本格的な音楽を学ぶ。

翌年の昭和2年(1927年)に笠置シズ子が小学校を卒業して、宝塚少女歌劇団を受験するが落ちたので、大阪の松竹楽劇部に入っている。

ブギウギ-羽鳥善一(草彅剛)のモデル東京編

服部良一は大阪で色々とあり、昭和8年、26歳の時に上京し、翌年の昭和9年にニットーレコードの音楽監督に就任する。

服部良一は「服部ヘンリー」というペンネームを使って「恋のステップ」を手がけ、大阪の笠置シヅ子はこの「恋のステップ」でレコードデビューするのだが、2人に面識は無かったようだ。

服部良一は昭和11年にコロムビアに移籍する。

朝ドラ「エール」のモデルとなった作曲家・古関裕而は、昭和5年にコロムビアの専属作曲家となる。年齢的には古関裕而の方が2歳年下なのだが、古関裕而の方が6年も早くコロムビアに入っている。

古関裕而はコロムビアに入ったものの、ヒット曲が出ずに苦しみ、昭和10年にようやく「船頭可愛や」がヒットして人気作曲家の仲間入りを果たしていた。

さて、コロムビアに入った服部良一は、まだヒット曲の無い淡谷のり子の曲を手がけ、翌年の昭和12年には淡谷のり子の「別れのブルース」が大ヒットして、作曲家としての地位を確立した。

昭和13年に志願して慰問団に加わり、慰問団から帰ってくると、新たに旗揚げする「松竹楽劇団」の副指揮者として迎えられ、「松竹楽劇団」の旗揚げに参加する笠置シヅ子と出会う。

笠置シヅ子は大阪時代に、服部良一の「恋のステップ」でレコードデビューしたが、2人が顔を合わせたのはこのときが初めてのようだ。

服部良一は、笠置シヅ子のステージを観てひと目で気に入り、自身のジャズ理論を実践するテストケースとして、笠置シヅ子に地声で歌うように命じた。

笠置シヅ子は苦しみながらも練習を重ね、服部良一の「ラッパと娘」などをヒットさせ、「スイングの女王」と呼ばれるようになる。

服部良一は笠置シヅ子にジャズの曲を書く一方で、淡谷のり子にはブルースを書き、淡谷のり子は「ブルースの女王」として活躍するのだった。

こうして、服部良一はヒット曲を手がけて、古賀政男と並ぶ作曲家へと成長するのだった。

しかし、戦争が始まると、ジャズやブルースは敵性音楽として禁止され、服部良一には厳しい時期が訪れる。

古関裕而が軍歌を手がけて出世して行くのに対して、服部良一は軍歌を避けるようにして、上海へと渡り、李香蘭と上海交響楽団とともにジャズを続け、上海で終戦を迎えた。

一方、終戦を笠置シヅ子は芸能活動を再開していたが、吉本興業の御曹司・吉本穎右(よしもと・えいすけ)の子供を妊娠しており、吉本穎右と結婚するために芸能界を引退して、大阪に行っていた吉本穎右の帰りを待っていた。

しかし、吉本穎右が大阪で病死したため、笠置シヅ子は一人で娘・亀井エイ子を出産すると、1人で亀井エイ子を育てるために歌手活動を再開する。

上海から帰国した服部良一は、笠置シヅ子から曲の制作を頼まれ、「東京ブギウギ」を書いた。笠置シヅ子は「東京ブギウギ」をヒットさせ、「ブギの女王」と呼ばれるようになるのだった。

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ブギウギのネタバレ

朝ドラ「ブギウギ」が史実通りに話が進むのであれば、花田鈴子(趣里)は上京して羽鳥善一(草彅剛)と出会い、二人三脚でヒット曲を作り出し、花田鈴子は戦前は「スイングの女王」として活躍し、戦後は「ブギの女王」として活躍するだろう。

なお、朝ドラ「ブギウギ」の登場人物のモデル一覧は「ブギウギ-実在のモデル一覧」をご覧ください。

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