服部ヘンリーの正体はレイモンド服部(服部逸郎)だった【ブギウギの史実】

笠置シヅ子をモデルとするNHKの朝ドラ「ブギウギ」の解説シリーズ「服部ヘンリーの正体はレイモンド服部(服部逸郎)だった」です。

服部ヘンリーの正体はレイモンド服部(服部逸郎)だった

「ブギウギ」のモデル笠置シヅ子は、「桃色争議」の翌年の昭和9年10月に服部ヘンリーが作曲した「恋のステップ」でレコードデビューした。

この「恋のステップ」を作曲した服部ヘンリーは、作曲家の服部良一のペンネームだとされてきたのだが、服部ヘンリーはレイモンド服部(服部逸郎)のペンネームという説が出てきた。

「昭和ブギウギ:笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲」の著者が、服部良一の孫娘・服部明子に問い合わせたところ、服部明子がコロムビアに問い合わせてくれ、コロムビアの資料室で、「ヘンリー」を消して「レイモンド」と上書きしたレーベルコピーが見つかったのだという。

これにより、服部ヘンリーはレイモンド服部(服部逸郎)のペンネームという可能性が非常に強くなった。

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ブギウギ-服部良一側の資料との整合性

服部良一側の資料では、笠置シヅ子が服部良一と出会うのは、笠置シヅ子が東京の「松竹楽劇団(SGD)」へ移籍した昭和13年のことである。

服部良一は松竹楽劇団の副指揮者をしており、笠置シヅ子に会ったときのことを、「ごった返すけい古場の片すみで、音楽の打ち合わせのために引き合わされたのが彼女との最初の出会いだった。どんなにすばらしいプリマドンナかと期待していたら、薬ぴんをぶら下げ、トラホームのように目をショボショボさせた女性で、これがスターとはとても思えない。『よろしゅう頼んまっせ』とあいさつされたが、どこか裏町の子守女かと見まがうようだった」と書き残している。

「恋のステップ」を作曲した服部ヘンリーが服部良一なら、笠置シヅ子が「恋のステップ」を歌った昭和9年の時点で2人が会っていなければ不自然である。

私もこの点が気になっていたのだが、服部ヘンリーがレイモンド服部(服部逸郎)だとすれば、服部良一側の資料とも辻褄が合う。

服部ヘンリーは、作曲家の服部良一のペンネームだと資料は2次資料ばかりで、一次資料が不明なので、服部ヘンリーはレイモンド服部(服部逸郎)のペンネームという可能性が大きいと思う。

さらに詳しく知りたい人は、朝ドラ「ブギウギ」を解説している「昭和ブギウギ:笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲」をご覧ください。

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