【ブギウギ】中山史郎(なかやましろう)のモデルは中川三郎【タップダンス】

NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場するタップダンサー中山史郎(なかやま・しろう/小栗基裕)のモデルとネタバレです。

ブギウギの中山史郎(小栗基裕)のあらすじ

「s**t kingz」の小栗基裕が演じる「ブギウギ」の中山史郎は、日本のトップダンサーで、タップダンスの名手である。

中山史郎は東京・梅丸楽劇団(UGD)に入り、タップの名手・秋山美月(伊原六花)とコンビを組むことになる。

秋山美月は中山史郎の事が好きで、中山史郎とコンビを組める事を嬉しく思うが、中山史郎は自分の相手に相応しのは娘役だと言い、男役の秋山美月に娘役への転向を求めた。

秋山美月は男性と付き合うのが初めてだったので、困惑しながらも、中山史郎の言う通りに娘役への転向を考えるが、中山史郎が秋山美月のために用意した娘役の衣装はフリルの付いた服だったので困惑する。

そして、中山史郎は秋山美月にプロポーズをする。

秋山美月はプロポーズを受けて苦悩するが、中山史郎と居ると自分が自分らしくいられないことに気づき、自分らしく生きるためにプロポーズを断るのだった。

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ブギウギ-中山史郎(小栗基裕)のモデルのネタバレ

ブギウギの中山史郎(小栗基裕)のモデルは、戦前はタップダンスの名手として活躍し、戦後、日本にディスコを持ち込んだダンサー中川三郎だと考えられます。

中山史郎とモデルの中川三郎
出典:朝ドラ「ブギウギ」など

モデルの中川三郎は大正5年(1916年)3月9日に大阪府で生まれた。父親は中川好太郎で、母親は中川重である。

中川三郎は、日本歌劇の創始者である伊庭孝に師事し、15歳で初舞台を踏んだ。

その後、中川三郎は慶應義塾大学を中退してアメリカへと渡り、ニューヨーク市立大学に入学。ジョニー・マチスンに師事して、タップダンスなどを学び、邦人で唯一のダンス・マスター・オブ・アメリカの会員となる。

中川三郎は、日本人として初めてブロードウェイに出演して注目を集め、ニューヨーク市立大学も卒業するが、母親の死により、帰国。帰国後は吉本興業に招かれ、専属ダンサーとなる。

慶應義塾大学出身の益田貞信(演出家・松永大星のモデル)が松竹楽劇団の立ち上げに加わっており、中川三郎は益田貞信に招かれて松竹楽劇団の旗揚げに参加して、タップダンサーとして活躍して一時代を築く。

朝ドラ「ブギウギ」の松永大星
出典:朝ドラ「ブギウギ」など

しかし、中川三郎は松竹楽劇団の演出家・蒲生重右衛から嫌われていたようで、昭和13年に松竹楽劇団を辞めて、東宝へと移り、「中川三郎ハタアズ」を旗揚げする。

しかし、戦争の影響でダンスホールが閉鎖されると、活動の場を奪われたうえ、タップダンスがモール信号と勘違いされ、スパイの容疑を掛けられてしまう。

戦後は全日本職業舞踊家協会を設立して初代会長に就任したほか、中川三郎スタジオを設立してダンスの普及や指導に励んだ。

昭和40年(1965年)に東京の恵比寿に日本初となるディスコとなる「中川三郎ディスコティック」をオープンするなど、ダンスの普及に尽力。平成15年(2003)10月に死去した。

ブギウギの秋山美月(伊原六花)は中山史郎の事が好きになるが、中山史郎に振られてしまう。

しかし、モデルの中川三郎は、松竹楽劇団に参加していて時には既に結婚しているので、ブギウギの秋山美月と中山史郎のエピソードは創作だと考えられる。

なお、朝ドラ「ブギウギ」の登場人物のモデル一覧は「ブギウギ-実在のモデル一覧」をご覧ください。

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