【ブギウギ】中山史郎(なかやましろう)のモデルは中川三郎【タップダンス】

NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場するタップダンサー中山史郎(なかやま・しろう/小栗基裕)のモデルとネタバレです。

ブギウギの中山史郎(小栗基裕)のあらすじ

「s**t kingz」の小栗基裕が演じる「ブギウギ」の中山史郎は、日本のトップダンサーで、タップダンスの名手である。

中山史郎は東京・梅丸楽劇団(UGD)に入り、タップの名手・秋山美月(伊原六花)とともに活躍する。

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ブギウギ-中山史郎(小栗基裕)のモデルのネタバレ

ブギウギの中山史郎(小栗基裕)のモデルは、戦前はタップダンスの名手として活躍し、戦後、日本にディスコを持ち込んだダンサー中川三郎だと考えられます。

モデルの中川三郎は大正5年(1916年)3月9日に大阪府で生まれた。父親は中川好太郎で、母親は中川重である。

中川三郎は、日本歌劇の創始者である伊庭孝に師事し、15歳で初舞台を踏んだ。

その後、中川三郎は慶應義塾大学を中退してアメリカへと渡り、ニューヨーク市立大学に入学。ジョニー・マチスンに師事して、タップダンスなどを学び、邦人で唯一のダンス・マスター・オブ・アメリカの会員となる。

中川三郎は、日本人として初めてブロードウェイに出演して注目を集め、ニューヨーク市立大学も卒業するが、母親の死により、帰国。帰国後は吉本興業に招かれ、専属ダンサーとなる。

その後、松竹に招かれて松竹楽劇団に加わり、タップダンサーとして活躍して一時代を築く。

昭和13年に東宝へと移り、「中川三郎ハタアズ」を旗揚げするが、戦争の影響でダンスホールが閉鎖されると、活動の場を奪われたうえ、タップダンスがモール信号と勘違いされ、スパイの容疑を掛けられてしまう。

戦後は全日本職業舞踊家協会を設立して初代会長に就任したほか、中川三郎スタジオを設立してダンスの普及や指導に励んだ。

昭和40年(1965年)に東京の恵比寿に日本初となるディスコとなる「中川三郎ディスコティック」をオープンした。平成15年(2003)10月に死去した。

なお、朝ドラ「ブギウギ」の登場人物のモデル一覧は「ブギウギ-実在のモデル一覧」をご覧ください。

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