【ブギウギ】演出家・松永大星(まつなが・たいせい)のモデルは益田貞信

NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場する演出家・松永大星(まつなが・たいせい/新納慎也)の実在のモデルを紹介します。

ブギウギの松永大星(新納慎也)のあらすじ

松永大星(新納慎也)は洋行帰りの演出家で、東京の梅丸楽劇団(UGD)に招かれ、梅丸楽劇団の旗揚げ公演の演出を担当することになる。

そして、松永大星は、梅丸楽劇団の福来スズ子(趣里)の才能に気付き、作曲家・羽鳥善一(草彅剛)に福来スズ子を紹介する。

福来スズ子は松永大星に恋心を抱くようになるが、松永大星はなかなか本題に入らない性格で、恋は進展していなかった。

朝ドラ「ブギウギ」の松永大星
出典:朝ドラ「ブギウギ」など

そのようななか、松永大星は「日宝」へ移籍することになり、福来スズ子にも「日宝」へ来ないかと誘うのだった。

困った福来スズ子は、羽鳥善一(草彅剛)に相談すると、羽鳥善一が大騒ぎして、引き抜きの話は社長の知るところになり、福来スズ子は日宝へ移籍できないように軟禁されていまう。

福来スズ子は松永大星にも、梅丸楽劇団(UGD)にも迷惑を掛けたことから、日宝にも移籍できないし、梅丸楽劇団にも残れないと考え、松永大星と駆け落ちしようとするが、松永大星から「好きな人がアメリカに居る」と断られ、失恋してしまうのだった。

スポンサードリンク

ブギウギ-松永大星(新納慎也)の実在のモデルは益田貞信

「ブギウギ」に登場する演出家・松永大星(新納慎也)の実在のモデルは、演出家の益田貞信です。

益田貞信の祖父は三井財閥・三井物産の創業者・益田孝である。

益田貞信の父・益田太郎は、益田孝の次男で三井財閥の大番頭として活躍する一方で、芸能にも才能を発揮して、ピアノを演奏したほか、日本に女優劇を導入し、「益田太郎冠者」を名乗って脚本も書いていた。

父・益田太郎には、7人の子供(5男・2女)が居り、5人の息子は音楽に才能を発揮し、ガレッジジャズの普及に貢献した。

5人の息子は名前に「信」の字が入っていたので、「五信」と呼ばれ、いずれもプロに劣らない腕前だったが、音楽で金銭を得ることを嫌っていたため、プロにはならなかった。

松永大星(新納慎也)のモデルとなる益田貞信は、父・益田太郎の5男で、ジャズピアニスト、監督・演出などで才能を発揮し、父親が「益田太郎冠者」を名乗っていたことから、「益田次郎冠者」を名乗ることになる。

さて、益田貞信は明治44年、東京生まれ。慶應義塾大学を出た後、父親との約束で3年間、三井信託銀行に勤務した後、アメリカに留学して、ピアノを学んで帰国した。

益田貞信は慶應義塾大学出身の金持ちを集め、ジャズバンド「フラタニティー・シンコペイターズ」を結成していた。

このジャズバンドには、後にプロとして活躍する村上一徳や馬渡誠一が在籍しており、村上一徳が、松竹を創業した大谷家へ養子に入った大谷博と知り合いだった。

大谷博は大谷家の養子として新たな事業を始めたいと考えており、村上一徳や益田貞信に相談するようになる。

その結果、大谷博の肝いりで、東京で男女混合レビュー「松竹楽劇団」を旗揚げすることになり、益田貞信は演出家として「松竹楽劇団」の旗揚げに参加した。

益田貞信は旗揚げ公演「スイング・アルバム」をヒットさせ、その後も舞台を手がけるが、「松竹楽劇団」が大衆路線へ変更すると、益田貞信は方向性の違いから、東宝へと移籍した。

益田貞信は「松竹楽劇団」の旗揚げに参加していた笠置シヅ子の事を気に入っており、東宝へ移った益田貞信は、笠置シヅ子に東宝への移籍を持ちかけた。

笠置シヅ子は益田貞信の事が好きだったことに加え、母親の治療費が必要だったので、金銭的な問題から東宝への移籍にサインした。

しかし、松竹側に笠置シヅ子の引き抜きがバレてしまい、笠置シヅ子は大谷家の別荘に軟禁されてしまい、服部良一が問題解決に奔走している。

結局、松竹側が首を縦に振らなかったので、笠置シヅ子の東宝移籍問題は有耶無耶に終わるのだが、「松竹楽劇団」は時勢の影響で経営が厳しくなっていき、笠置シヅ子は松竹から独立を勧められたので、服部良一の援助を受けて「笠置シズ子とその楽団」を立ち上げ、松竹から独立している。

ということで、朝ドラ「ブギウギ」に登場する演出家・松永大星(新納慎也)のモデルは、演出家の益田貞信で間違いないと思います。

なお、朝ドラ「ブギウギ」の登場人物のモデルや実話は「ブギウギ-実在のモデルのまとめ」をご覧ください。

スポンサードリンク

コメントを投稿する

コメントは正常に投稿されていますが、反映に時間がかかります。