ブギウギ-「福来スズ子とその楽団」のモデルは「笠置シズ子とその楽団」

NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場する「福来スズ子とその楽団」の実在のモデルとネタバレです。

ブギウギ-「福来スズ子とその楽団」のあらすじ

福来スズ子(趣里)は東京の梅丸楽劇団(UGD)に参加した後、「福来スズ子とその劇団」を発足することになる。

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ブギウギ-「福来スズ子とその楽団」のモデルとネタバレ

朝ドラ「ブギウギ」に登場する「福来スズ子とその楽団」の実在のモデルは、「笠置シズ子とその楽団」です。

昭和13年(1938年)、松竹は東宝の「日劇ダンシングチーム(NDT)」に対抗するため、東京の帝国劇場で、男女混合レビュー団「松竹楽劇団(SGD)」を旗揚げした。

メンバーは東西の松竹からエースが集められ、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)から、笠置シヅ子とタップの秋月恵美子が東京の松竹楽劇団の旗揚げに参加した。

笠置シヅ子は松竹楽劇団で、服部良一と出会い、服部良一からジャズを歌うように指示されてジャズを歌うようになり、「ラッパと娘」「センチメンタル・ダイナ」などをレコードに吹き込んでヒットさせ、「イングの女王」として活躍するようになる。

しかし、笠置シヅ子は当局から目を付けられる。

当時は直立不動で歌うことが一般的だったのに対して、笠置シヅ子は歌いながら体を動かしたり、派手な付けまつげを付けたりしていたので、警察から直立不動で歌うように命じられてしまったのである。

戦況の悪化とともにジャズへの批判が強まり、歌手活動がやりにくくなった笠置シヅ子は、松竹楽劇団から独立する準備を進めていたときに、時勢の影響を受けて松竹楽劇団が解散したので、笠置シヅ子は松竹から独立して「笠置シヅ子とその劇団」を立ち上げた。

さて、ジャズは敵国の音楽なので敵性音楽として取締が始まるのだが、実際には抜け道があった。

取り締まる警官に音楽の知識がないので、音楽を聴いてもジャズなのかどうか判断できないうえ、当時はICレコーダーなどないので、音楽は演奏が終われば消えてしまい、証拠が残らないので、「ナズなど演奏していない」と言い切れば、取締を受ける事は無かった。

このため、海軍の音楽隊が上司の前で堂々とジャズを演奏していたという話も残っている。

また、同盟国ドイツのクラシック音楽をジャズにアレンジして演奏する方法もあり、「ジャズ」という看板さえ上げなければ、戦時中でもジャズは演奏できたのである。

「笠置シヅ子とその劇団」は、このような手法で、軽音楽を隠れ蓑にしてジャズを演奏しており、かなりの人気だったようである。

しかし、当局が取り締まりを強化し、昭和19年6月の軽音楽改革でジャズに必要な楽器の使用を禁じると、ジャズは全滅していき、「笠置シヅ子とその劇団」もジャズが演奏できなくなり、軽音楽では淡谷のり子のタンゴなどが残った。

さて、笠置シヅ子は敵性歌手に指定されていたので、戦地慰問には呼ばれず、国内の巡業や慰問を続けており、名古屋を訪れたときに、吉本興業の御曹司・吉本頴右(よしもと・えいすけ)と出会い、結ばれた。

そのようななか、空襲警報が鳴ると仕事が全てキャンセルになるので、笠置シヅ子は楽団員13人を抱えて非常に苦しい生活を送っていたが、マネージャーが勝手に「笠置シヅ子とその楽団」を興行主に売却したので、「笠置シヅ子とその楽団」は終戦を前に解散を余儀なくされた。

朝ドラ「ブギウギ」の「福来スズ子とその楽団」がモデル通りであれば、マネージャーが勝手に「福来スズ子とその楽団」を売却して解散するという結末になるだろう。

なお、朝ドラ「ブギウギ」の登場人物のモデル一覧は「ブギウギ-実在のモデル一覧」をご覧ください。

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