【ブギウギ】大和礼子(蒼井優)が死去した実話のネタバレ【やまとれいこ】

NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場する大和礼子(蒼井優)が死去したモデルと実話のネタバレです。

大和礼子(蒼井優)

朝ドラ「ブギウギ」の大和礼子(蒼井優)は、梅丸少女歌劇団の1期生で、ダンスの名人である。

大和礼子はトップスターとして梅丸少女歌劇団(USK)を率いており、会社の人員削減や減給に反発して労働争議「桃色争議」を起こし、ストライキを起こして福来スズ子(趣里)らを率いて山寺に立て籠もる。

最後は、大和礼子と橘アオイ(翼和希)が「桃色紛争」の責任を取って梅丸少女歌劇団を辞める事を条件に、会話側が大和礼子らの条件を受け入れ、ストライキは終わり、「桃色紛争」は終了した。

こうして、大和礼子は梅丸少女歌劇団を辞めると、梅丸少女歌劇団でピアノを担当していた股野義夫(森永悠希)と結婚したが、子供の出産と引き換えに死去した。

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ブギウギ-大和礼子(蒼井優)のモデルは飛鳥明子

朝ドラ「ブギウギ」の大和礼子(蒼井優)のモデルは、松竹楽劇部のスター飛鳥明子(あすか・あきこ)です。

飛鳥明子は明治40年(1907年)12月に医者の家に生まれ、高等女学校を卒業後、大阪の道頓堀で発足した「松竹楽劇部」に1期生として入部した。

飛鳥明子はバレエのトゥダンスの名人で、スター飛鳥明子として松竹楽劇部を牽引した。

飛鳥明子は非常にストイックで、スターになっても努力を惜しまず、みんなよりも1時間前に練習場に入って1人で黙々と練習をしており、笠置シヅ子や水ノ江瀧子(ターキー)に大きな影響を与えた。

昭和8年(1933年)に松竹楽劇部で労働紛争の「桃色争議(ももいろそうぎ)」が起きると、飛鳥明子は紛争団のリーダーを務め、松竹と対立すると、笠置シヅ子らを率いてストライキを起こし、高野山で籠城した。

世間が飛鳥明子らに味方し、高野山の僧の仲介もあったことから、松竹が飛鳥明子らの嘆願書を受け入れ、桃色争議は飛鳥明子らの勝利に終わる。

飛鳥明子は、桃色争議の責任者として解雇されるが、笠置シヅ子らの嘆願により、振り付けの指導者として松竹楽劇部に復帰する。

飛鳥明子は松竹楽劇部を解雇された後に結婚したが、桃色争議から4年後の昭和12年(1937年)8月に29歳の若さで死亡した。死因は腎臟炎。

なお、朝ドラ「ブギウギ」の登場人物のモデル一覧は「朝ドラ「ブギウギ」の実在のモデル一覧」をご覧ください。

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