ブギウギ-福来スズ子の結婚相手・村山愛助と実話のネタバレ【史実】

NHKの朝ドラ「ブギウギ」に登場する福来スズ子(趣里)の結婚相手と実話のネタバレです。

ブギウギ-福来スズ子の結婚相手のネタバレ

福来スズ子(趣里)は、花咲少女歌劇団の試験に落ちて、大阪の梅丸少女歌劇団(USK)に入った。

その後、福来スズ子は東京の「梅丸楽劇団(UGD)」にスカウトされ、梅丸楽劇団の旗揚げに傘下する。

そして、福来スズ子は梅丸楽劇団で、梅丸楽劇団の演出家の松永大星(新納慎也)と出会う。

福来スズ子は松永大星に恋をしており、「日宝」への移籍騒動の末、最後は松永大星と駆け落ちしようとするが、松永大星に断られて失恋してしまうのだった。

その後、福来スズ子は梅丸楽劇団から独立して、「福来スズ子とその楽団」を立ち上げ、地方巡業をしている。

そして、朝ドラ「ブギウギ」の第10週で、福来スズ子は愛知県で福来スズ子のファンだという学生・村山愛助(水上恒司)と出会い、交際を開始する。

村山愛助は日本有数の村山興業の後継者で、村山興業の東京支社長・坂口(メッセンジャー黒田)から別れるように迫られるが、村山愛助は坂口に反発して、福来スズ子にプロポーズするのだった。

しかし、村山愛助は結核に感染し、戦後、まもなく死んでしまうのだった。

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ブギウギ-福来スズ子の結婚相手と実話のネタバレ

朝ドラ「ブギウギ」のモデル笠置シヅ子は、小学校を卒業して松竹楽劇部に入る。大勢のスターが労働紛争「桃色争議」の処分で辞めたので、笠置シヅ子はスターの仲間入りを果たし、歌手としての道を進み始める。

その後、松竹の目にとまり、笠置シヅ子は秋月恵美子とともに、東京の「松竹楽劇団(SGD)」の旗揚げに参加する。

笠置シヅ子は、松竹楽劇団で演出家の益田貞信と出会い、益田貞信に好意を寄せるようになる。

その後、東宝へ移籍した益田貞信から東宝へと誘われ、笠置シヅ子も東宝への移籍にサインするが、松竹楽劇団の責任者・大谷博の知る所なり、笠置シヅ子は監禁され、東宝への移籍は阻止されてしまう。

笠置シヅ子は松竹楽劇団に残っていたが、時勢の悪化から松竹楽劇団の経営が悪化し、松竹から独立を勧められ、「笠置シヅ子とその楽団」を発足して松竹から独立する。

笠置シヅ子は敵性歌手に指定されので、戦地慰問には行けず、工場慰問や地方巡業をしていたとき、訪れた名古屋で吉本興業の後継者・吉本頴右と出会う。

笠置シヅ子が吉本頴右と出会ったのは、昭和18年6月26日のことだった。

仕事で名古屋を訪れていた笠置シヅ子は、名古屋の御園座に出演している辰巳柳太郎の楽屋へ挨拶に行き、「美眉秀麗な貴公子」を目撃する。

笠置シヅ子は初めて見た吉本頴右について、「頭は学生のように丸坊主ですが、グレイの背広をシックに着こなした長身の青年で、ジェームス・シュチュワートのような端麗な近代感に溢れていました」と書いている。

翌日、笠置シヅ子は宿にしていた愛生旅館で、再び吉本頴右を見かけた。後で分かったのだが、吉本興業が愛生旅館を常宿にしており、吉本頴右は愛生旅館に泊まっていたのだ。

その後、笠置シヅ子は太陽館での1回目の舞台が終わって楽屋でうがいをしていると、吉本興業の名古屋会計主任の一田浩が吉本頴右を連れてやってきた。

吉本頴右は笠置シヅ子のファンで、一田浩は吉本頴右に頼まれて、笠置シヅ子に引き合わせに来たのだという。

こうして、笠置シヅ子は初めて吉本頴右と言葉を交わし、笠置シヅ子は仕事で神戸に行き、吉本頴右は和歌山へ釣りに行くというので、一緒に汽車で関西へ向かう約束をした。

その後、吉本頴右が笠置シヅ子の自宅に遊びに来るようになったので、笠置シヅ子は吉本頴右を弟扱いして、色々と用事を頼んだり、「興行師の小せがれめ」などと言っていた。

しかし、笠置シヅ子は吉本頴右に恋心をもつようになる。吉本頴右も笠置シヅ子に恋をしていたようで、お互いの家を行き来するようになる。

その後、笠置シヅ子は仕事で京都へ行っている間に、東京は空襲を受けて、自宅を焼失してしまう。

父親が故郷の香川県に帰るというので、笠置シヅ子も京都に疎開することにしたのだが、吉本興業・東京支社長の林弘高が隣のフランス人宅を借りて、焼け出された関係者を収容しており、焼け出された吉本頴右もフランス人宅に居た。

笠置シヅ子もフランス人宅に招かれて、部屋は違うが、吉本頴右と一つ屋根の下で暮らすのだった。

ブギウギ-福来スズ子と村山愛助の結婚の実話のネタバレ

戦後、笠置シヅ子と吉本頴右は、2人の関係が吉本興業に知られそうになったので、結婚に向けた準備をするため、フランス人宅を出て、別々に暮らした。

吉本頴右は大学を辞めて東京吉本で働いてたのだが、税金の関係で吉本興業の財産を整理しなければず、大阪へと戻ることにした。

笠置シヅ子は吉本頴右を琵琶湖まで見送って東京へ戻り、その直後に笠置シヅ子は妊娠が判明する。

吉本頴右の母親で吉本興業の創業者・吉本セイは、2人の結婚に頑なに反対していたが、笠置シヅ子の妊娠が判明してからは、吉本セイが態度を軟化させ、話し合いは好転していたという説もある(ただし、真相は分からない)。

笠置シヅ子は吉本頴右と結婚したら、芸能界を引退することにしていたので、大きなお腹で、最後の舞台「ジャズカルメン」に出演した。

吉本頴右は「ジャズカルメン」の最中に東京へ戻ってくる予定で、笠置シヅ子は吉本頴右と暮らす新居を用意して待っていたのだが、「ジャズカルメン」が終わっても戻ってこない。

実は、吉本頴右は結核に感染しており、大阪で体調を悪化させ、一度は持ち直したのだが、再び様態は悪化して危篤状態に陥っていた。

知らせを受けた笠置シヅ子は、吉本頴右の元に駆けつけようと思うが、医師から「身重の貴女が行けば、相手を不安にさせる」と止められた。

一方、大阪では、吉本興業の林正之助らが船をチャーターして笠置シヅ子を大阪まで運んでこようとしていたが、吉本頴右が笠置シヅ子の体を気遣って断った。

こうして2人は再会することなく、吉本頴右は死去してしまう。

吉本頴右は生まれてくる子供のために貯金をしており、男なら「頴造」女なら「エイ子」と名付けよと遺言を残しており、吉本興業の前田栄一来て、笠置シヅ子に通帳を渡して、遺言を伝えた。

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ブギウギ-村山愛助の死後の実話のネタバレ

吉本頴右は死去、笠置シヅ子は女の子を出産すると、吉本頴右の遺言通り、娘を亀井エイ子と名付けた。

吉本頴右の母・吉本セイは、亀井エイ子を引き取りたいと申し出たが、笠置シヅ子はそれを断り、娘・エイ子を育てるために、作曲家の服部良一に「センセ頼んまっせ」と曲を頼んだ。

こうして、出来た曲が「東京ブギウギ」で、笠置シヅ子は乳飲み子を抱えてステージ登り、「東京ブギウギ」を歌って「ブギの女王」となるのだった。

ブギウギ-死後認知のネタバレ

笠置シヅ子は生まれて直ぐに養子に出されており、本当の両親の事をほとんど知らなかったので、娘の亀井エイ子を私生児にしたことを悔やみ、死後認知は出来ないのかと思い、調べて貰った。

しかし、戦後の新憲法でも初判例になるので、裁判になるだろうと言われたので、笠置シヅ子は死後認知を諦めた。

吉本側は、笠置シヅ子が吉本の財産を狙っているのではないかと思い、吉本頴右の死後もしばらくは笠置シヅ子を警戒していたという。

なお、朝ドラ「ブギウギ」の登場人物のモデル一覧は「朝ドラ「ブギウギ」の実在のモデル一覧」をご覧ください。

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