朝ドラ「ブギウギ」の第6週の実話をネタバレ

NHKの朝ドラ「NHKの朝ドラ「ブギウギ」の第6週「バドジズってなんや」のモデルや実話をネタバレします。

ブギウギ-福来スズ子と秋山美月の上京

朝ドラ「ブギウギ」の第6週は、大阪から東京へと舞台を移し、福来スズ子(趣里)と秋山美月(伊原六花)は、東京の梅丸楽劇団(UGD)にスカウトされて上京し、梅丸楽劇団の旗揚げ公演に参加することになります。

実話でも、モデルの笠置シヅ子と秋月恵美子が、昭和13年に東京の松竹楽劇団(SGD)にスカウトされ、旗揚げに参加しています。

この経緯を簡単にネタバレします。

日本の少女歌劇は兵庫県の宝塚少女歌劇団に始まったこともあり、東京には少女歌劇団が無く、松竹も大阪の松竹楽劇部を東京へ遠征させて公演していたのですが、松竹が昭和3年に東京の松竹座で「東京松竹楽劇部」を発足して、少女歌劇を東京へと進出させました。

松竹に遅れること4年、東宝も宝塚少女歌劇団を東京へと進出させ、東京でも松竹と東宝の争いが激しくなっていきます。

さらに、東宝は昭和11年に「日劇ダンシングチーム」に立ち上げたので、松竹は「日劇ダンシングチーム」に対抗するため、昭和13年に男女混合レビューの「松竹楽劇団」を発足します。

松竹楽劇団を発足させたのは、松竹の大谷博です。

大谷博は、松竹を創業した大谷家の養子で、大谷家の養子として大きな仕事をしようと思案して、この「松竹楽劇団」を立ち上げたので、「松竹楽劇団」は力が入っており、東西から豪華なメンバーが集められました。

笠置シヅ子は、前年の東京公演が松竹に認められ、東京の「松竹楽劇団」にスカウトされます。

このとき、笠置シヅ子は、大阪松竹少女歌劇団の幹部で、給料は月給100円を貰っていたのですが、散髪屋を営んでいた弟・亀井八郎が徴兵されたため、笠置シヅ子は1人で両親の面倒を見なければならなくなり、金銭的に厳しくなっていました。

そのようななか、笠置シヅ子は東京の「松竹楽劇団」からスカウトされ、「松竹楽劇団」に移籍すると、給料が200円になるというので、金銭的な事情から、「松竹楽劇団」への移籍を決めて上京します。

こうして、上京した笠置シヅ子は、「松竹楽劇団」で作曲家の服部良一と出会い、「ラッパと娘」や「センチメンタル・ダイナ」などをヒットさせ、「ブギの女王」と呼ばれるようになるのでした。

一方、秋月恵美子も笠置シヅ子と同じく、大阪松竹少女歌劇団の幹部でタップダンスを得意としていたので、タップダンスの実力が認められて、「松竹楽劇団」にスカウトされたのだと思います。

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ブギウギ-福来スズ子と羽鳥善一の出会いのネタバレ

朝ドラ「ブギウギ」の第6週で、福来スズ子と羽鳥善一が、東京の「梅丸楽劇団」で出会うのですが、これは実話通りです。

朝ドラ「ブギウギ」の第6週のネタバレ
出典:朝ドラ「ブギウギ」など

実話でも、モデルの笠置シヅ子は、東京の「松竹楽劇団」で作曲家の服部良一と出会います。

服部良一は前年に淡谷のり子の「分かれのブルース」をヒットさせ、新進気鋭の作曲家として注目を集めていました。

その服部良一は、笠置シヅ子との出会いを次のように書き残しています。

『ごった返すけい古場の片すみで、音楽の打ち合わせのために引き合わされたのが彼女との最初の出会いだった。どんなにすばらしいプリマドンナかと期待していたら、薬瓶をぶら下げ、トラホームのように目をショボショボさせた女性で、これがスターとはとても思えない。「よろしゅう頸 んまっせ」とあいさつされたが、どこか裏町の子守女かと見まがうようだった。

ところが、その夜遅く始まった舞台げい古では、思わず目を見張らされた。鉄砲玉のように飛び出してきてジャズに乗って踊るその動きの派手でスイングのあること。昼間のトラホーム娘とはまるで別人のような長いつけまつげで激しく歌って踊る。なるほどこれが世間で騒いでいた歌手かと、僕はその日からすっかり笠置君のファンになって、「ラッパと娘」「センチメンタル・ダイナ」など彼女のためにオリジナル曲を次々に書いた。』

ブギウギ-羽鳥善一が歌い方を教えてくれないネタバレ

朝ドラ「ブギウギ」でも、福来スズ子は羽鳥善一から歌の指導をしてもらえずに困るのですが、これは実話です。

服部良一は「松竹楽劇団」で笠置シヅ子を気に入ると、シズ子にジャズを地声で歌うように命じました。

地声で歌うというのは服部良一のジャズ理論で、シズ子は服部良一のジャズ理論の実験台となったのです。

しかし、服部良一は作曲家であり、歌手ではないため、歌い方までは指導してくれず、笠置シヅ子は独学で練習して、喉を痛めて、医者に通いながらステージに立ち、歌い方をマスターしました。

そして、笠置シヅ子はステージが高い評価を受けて「スイングの女王」と呼ばれるようになり、服部良一の推薦でコロムビアに所属し、「ラッパと娘」「センチメンタル・ダイナ」をレコードに吹き込んでヒットさせます。

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ブギウギ-バドジズってなんや?のネタバレ

第6週のサブタイトルになっている「バドジズってなんや」の「バドジズ」は、「ラッパと娘」に出てくる歌詞の一部です。

音楽的には意味の無い言葉を「スキャット」と呼び、この「バドジズ」は「スキャット」なので意味はありません。ます。

ブギウギ-福来スズ子と秋山美月の上京

朝ドラ「ブギウギ」の第6週は、大阪から東京へと舞台を移し、福来スズ子(趣里)と秋山美月(伊原六花)は、東京の梅丸楽劇団(UGD)にスカウトされて上京し、梅丸楽劇団の旗揚げ公演に参加することになります。

実話でも、モデルの笠置シヅ子と秋月恵美子が、昭和13年に東京の松竹楽劇団(SGD)にスカウトされ、旗揚げに参加しています。

この経緯を簡単にネタバレします。

日本の少女歌劇は兵庫県の宝塚少女歌劇団に始まったこともあり、東京には少女歌劇団が無く、松竹も大阪の松竹楽劇部を東京へ遠征させて公演していたのですが、松竹が昭和3年に東京の松竹座で「東京松竹楽劇部」を発足して、少女歌劇を東京へと進出させました。

松竹に遅れること4年、東宝も宝塚少女歌劇団を東京へと進出させ、東京でも松竹と東宝の争いが激しくなっていきます。

さらに、東宝は昭和11年に「日劇ダンシングチーム」に立ち上げたので、松竹は「日劇ダンシングチーム」に対抗するため、昭和13年に男女混合レビューの「松竹楽劇団」を発足します。

松竹楽劇団を発足させたのは、松竹の大谷博です。

大谷博は、松竹を創業した大谷家の養子で、大谷家の養子として大きな仕事をしようと思案して、この「松竹楽劇団」を立ち上げたので、「松竹楽劇団」は力が入っており、東西から豪華なメンバーが集められました。

笠置シヅ子は、前年の東京公演が松竹に認められ、東京の「松竹楽劇団」にスカウトされます。

このとき、笠置シヅ子は、大阪松竹少女歌劇団の幹部で、給料は月給100円を貰っていたのですが、散髪屋を営んでいた弟・亀井八郎が徴兵されたため、笠置シヅ子は1人で両親の面倒を見なければならなくなり、金銭的に厳しくなっていました。

そのようななか、笠置シヅ子は東京の「松竹楽劇団」からスカウトされ、「松竹楽劇団」に移籍すると、給料が200円になるというので、金銭的な事情から、「松竹楽劇団」への移籍を決めて上京します。

こうして、上京した笠置シヅ子は、「松竹楽劇団」で作曲家の服部良一と出会い、「ラッパと娘」や「センチメンタル・ダイナ」などをヒットさせ、「ブギの女王」と呼ばれるようになるのでした。

一方、秋月恵美子も笠置シヅ子と同じく、大阪松竹少女歌劇団の幹部でタップダンスを得意としていたので、タップダンスの実力が認められて、「松竹楽劇団」にスカウトされたのだと思います。

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ブギウギ-福来スズ子と羽鳥善一の出会いのネタバレ

朝ドラ「ブギウギ」の第6週で、福来スズ子と羽鳥善一が、東京の「梅丸楽劇団」で出会うのですが、これは実話通りです。

実話でも、モデルの笠置シヅ子は、東京の「松竹楽劇団」で作曲家の服部良一と出会います。

服部良一は前年に淡谷のり子の「分かれのブルース」をヒットさせ、新進気鋭の作曲家として注目を集めていました。

その服部良一は、笠置シヅ子との出会いを次のように書き残しています。

『ごった返すけい古場の片すみで、音楽の打ち合わせのために引き合わされたのが彼女との最初の出会いだった。どんなにすばらしいプリマドンナかと期待していたら、薬瓶をぶら下げ、トラホームのように目をショボショボさせた女性で、これがスターとはとても思えない。「よろしゅう頸 んまっせ」とあいさつされたが、どこか裏町の子守女かと見まがうようだった。

ところが、その夜遅く始まった舞台げい古では、思わず目を見張らされた。鉄砲玉のように飛び出してきてジャズに乗って踊るその動きの派手でスイングのあること。昼間のトラホーム娘とはまるで別人のような長いつけまつげで激しく歌って踊る。なるほどこれが世間で騒いでいた歌手かと、僕はその日からすっかり笠置君のファンになって、「ラッパと娘」「センチメンタル・ダイナ」など彼女のためにオリジナル曲を次々に書いた。』

ブギウギ-羽鳥善一が歌い方を教えてくれないネタバレ

朝ドラ「ブギウギ」でも、福来スズ子は羽鳥善一から歌の指導をしてもらえずに困るのですが、これは実話です。

服部良一は「松竹楽劇団」で笠置シヅ子を気に入ると、シズ子にジャズを地声で歌うように命じました。

地声で歌うというのは服部良一のジャズ理論で、シズ子は服部良一のジャズ理論の実験台となったのです。

しかし、服部良一は作曲家であり、歌手ではないため、歌い方までは指導してくれず、笠置シヅ子は独学で練習して、喉を痛めて、医者に通いながらステージに立ち、歌い方をマスターしました。

そして、笠置シヅ子はステージが高い評価を受けて「スイングの女王」と呼ばれるようになり、服部良一の推薦でコロムビアに所属し、「ラッパと娘」「センチメンタル・ダイナ」をレコードに吹き込んでヒットさせます。

ブギウギ-バドジズってなんや?のネタバレ

第6週のサブタイトルになっている「バドジズってなんや」の「バドジズ」は、「ラッパと娘」に出てくる歌詞の一部です。

音楽的には意味の無い言葉を「スキャット」と呼び、この「バドジズ」は「スキャット」なので意味はありません。

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